会社の原点

志と情熱だけは誰にも負けないという思いでスタート

株式会社コミュニケーションデザインは2003年4月に渋谷区桜ヶ丘にある住居兼オフィスの数人しか入れない1室の部屋から始まりました。
当時は会社として何もない状況でしたが、志と情熱だけは誰にも負けないという思いでPR会社をスタートしたのです。この思いの原点にあるのが、創業前にアメリカで見てきた世界最先端の米国PR会社の活躍ぶりです。
企業規模によらず、日本のPR会社では、マスコミ関係者に働きかけて記事・番組化(=パブリシティ)を狙う人海戦術に重きが置かれたPRビジネスが主流でした。しかし、営業力重視でマスコミ側には的外れな提案も多く、マスコミ露出がどのようにビジネスに貢献するのかが不明確なことも多々あります。
「PR活動とはもっと高度なインテリジェンスが要求される職業ではないのか?」。
当社代表の玉木剛はマスコミ業界でライターや番組制作の仕事をしていた時、さまざまな大手PR会社の社員からしつこくいろんな売り込みを受けるたびにそんな疑問を抱いていました。また、企業の広報業務をフリーで請け負って支援していたときも、人海戦術よりPR戦略や提案する企画の切り口が重要だと感じていました。
そこで、実際に自分の目でPRビジネスで世界の最先端であるアメリカにあるPR会社の仕事ぶりを知りたいと思うようになり、ある時、運良く米国でPR会社を見学して話を聞くチャンスを得ることができました。

そこで、まず玉木が驚いたのは、そのPR会社で働いていた社員の人たちです。前職がCNN(放送局)の報道番組出身者や「ウォールストリートジャーナル」の新聞記者出身者、政治家秘書、大手企業広報担当出身者など。マスコミや政治、各業界の現場に精通している彼らがクライアントの立場に立って、高度なPR戦略に基づいて企画などを立案・実施していました。
しかも、社内にはテレビ局と同等の収録スタジオがあり、そこで収録された映像素材がプレスリリースとして放送局に送られ、その映像が編集されてテロップもなくそのまま放送されるというのです。これらは玉木が日本で目の当たりにしてきた日本のPR会社とはまったく違う内容の仕事でした。それと同時に、マスコミの情報発信と企業の広報の仕事が限りなく近いと感じました。
こうした体験を経て帰国後、玉木はパブリシティ会社ではなく、日本国内から世界に通用する本格的なPR会社をつくりたいと強く思い、創業したのです。

ミッションにも掲げている通り、当社の存在意義は顔が見える企業や個人を世界中に多数創出し、情報によって個性溢れる幸せで豊かな社会にしていくことです。
そのためには、パブリシティ活動だけでなく、キーメッセージの開発から訴求方法まで、PR戦略の企画段階から積極的に関与していくことが重要です。米国のPRノウハウも参考にしていますが、現場の仕事を一歩ずつ地道に積み上げて日本初、世界に通用する一流のPRノウハウ構築を目指しています。

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